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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)16200号 判決

原告

浅野芳春

被告

株式会社タカラ

右代表者代表取締役

佐藤安太

右訴訟代理人弁護士

奥毅

五木田彬

吉野高

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告が被告に対し雇用契約上の地位を有することを確認する。

二  被告は原告に対し、昭和六一年一月二一日から本判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月二一万三二〇〇円の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  第二項につき仮執行宣言

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、被告会社から業務外の交通事故による受傷後の欠勤等を理由に休職命令を受け、その後に休職期間満了による退職通知を受けた原告が、退職の効力を争って、雇用契約上の地位確認、賃金の支払を求めている事案である。

二  争いのない事実

1  被告は、従業員約八〇〇名、玩具の製造・販売・輸出入を主たる業とする会社である。原告は、昭和四三年五月二〇日被告会社に入社し、商品開発の業務に従事してきて、昭和四九年六月主任職になった。

2  原告は、昭和五四年九月一六日に実施された被告会社の研修会に無断で欠席したことからその翌日に主任職の降格処分を受け、その後の昭和五五年二月二三日から自宅勤務となっていたところ、昭和五七年一二月八日交通事故に遭って一週間意識不明を伴う脳挫傷等の傷害を受け、それから昭和五八年四月まで入院し、さらに昭和五九年一月一七日まで通院し、その後同年九月四日付書面で被告会社から就業規則に基づく休職命令(以下「本件休職命令」という。)を受けた。被告会社の就業規則四〇条には、「私傷病による欠勤が引き続き六か月に達したとき」(一号)、「適職が与えられないため一時待機させる必要があるとき」(五号)は休職を命ずる旨が定められている。

3  被告会社は、昭和六〇年一月二九日付書面をもって原告に対し、本件休職命令を有効なものとして、六か月の経過により原告が退職となる旨の通知をした。これに対して原告は、同年二月一七日付書面で、同月二〇日をもって復職するのでその旨の辞令を交付するよう被告会社に求めたが、被告会社は、同年三月四日、就業規則四六条三号により、休職通知書に基づく休職期間満了を理由として翌五日付書面をもって退職通知をし、同月一五日に退職金として二六九万一〇〇〇円を原告の預金口座に振込んで支払った。同規則四六条三号には、従業員につき休職期間が満了した場合に休職事由が消滅しないときはその翌日に退職する旨が定められている。

4  原告は、当時、毎月二五日に被告会社から二一万三二〇〇円の賃金の支払を受けていたところ、被告会社に対し前記退職金は今後の賃金の一部支払に充当する旨を通知した。

5  原告は、昭和六一年二月二六日、被告会社を相手取り、地位保全の仮処分命令の申請(東京地裁昭和六一年(ヨ)第二二二六号事件)をした。被告会社は、同年三月一一日の審尋期日において、休職期間満了による退職の効果が認められないとした場合には予備的に原告を解雇する旨の意思表示をした。

二  主たる争点

1  本件休職命令について就業規則四〇条所定の「私傷病による欠勤が引き続き六か月に達したとき」(一号)、「適職が与えられないため一時待機させる必要があるとき」(五号)の休職事由があったといえるか。

2  休職期間満了時において就業規則四六条三号所定の「休職事由が消滅しないとき」に当たる状況があったといえるか。

3  休職期間満了による退職の効果が認められないとした場合、被告がした予備的解雇の意思表示は有効か。

三  原告の主張

1  原告の入社

原告は、昭和四三年に被告会社代表者社長佐藤安太(以下「社長」という。)に勧誘され、前職を退職して被告会社に入社し、商品開発を主に担当してきたもので、昭和四七年には被告会社の男児玩具ラインの基礎となった「変身サイボーグ」という先行投資率の少ないヒット商品を開発して、被告会社に多大の貢献をした。

2  降格処分

原告は、その後に主任に昇格したが、被告から上司の企画ミスの責任を被せられ、担当商品と部下を全部取上げられ、また、被告会社は、昭和五四年に原告が欠席しても支障のない休日に行われた会社研修会を病欠したことを口実に始末書の提出を強要し、原告が自ら主任職の返上と始末書の提出に応じたにもかかわらず、翌日降格処分を会社掲示板に貼り出した。これによって原告は同僚、上司から白眼視され社内に身の置きどころがなくなった。

3  自宅勤務

原告は、昭和五五年三月一日から自宅勤務(定まった勤務時間・勤務場所・勤務形態を持たないブラブラ社員)になることを当時の直属の上司である有ケ谷不二夫常務取締役兼商品開発部長から命ぜられたが、この様な勤務形態は就業規則上認められていなかったもので、上司の説得に応じてこれに従ったものの、それまでの勤務に較べると一〇〇パーセントの大幅な収入減になった。この期間はテストケースとして六か月とされたが、明確な取り決めもないまま、原告の資金援助の要望も聞き入れずに継続された。

4  自動車事故

原告は自宅勤務中の昭和五七年一二月七日、被告会社に出社して帰宅後、試作業務に取り掛かり、接着剤の乾燥待ちの間に近くの飲食店で夜食をとり、深夜(八日)午前二時頃帰宅しようとした際に不可解な交通事故に会い、一週間も意識不明を伴う頭蓋骨骨折・左膝開放性骨折・左肩脱臼骨折の傷害を受けた。この傷害により原告は同年一二月八日から入院していたが、被告会社から出社命令を強要されたため昭和五八年四月に見切り退院した結果全治不能になり、昭和五九年一月二六日に症状固定になった。

この災害については、深夜・翌朝にわたる原告の仕事の性質上、業務起因性があるものとして労災を適用すべきであるが、原告が被告会社に対し労災申請手続を取るよう要求したところ、被告会社は責任を持って面倒を見るからとしてこれに応ぜず、昭和五八年三月二九日から昭和六〇年二月末日までの間、出勤扱いとして賃金を支払ってきた。

5  休職命令とその撤回

被告会社は原告に対し昭和五九年九月四日付書面で就業規則による休職命令を通知したが、原告は同月一〇日社長に対し就業規則の内容を知らされてない旨の反論をして右書面を返還し、その際社長はこれを受領して休職命令を撤回した。

6  休職期間満了を理由とする解雇通告及びその無効

(一) ところが、被告会社は、昭和六〇年一月二九日付書面で休職命令の日から六か月の経過により原告が退職となる旨の通知をしてきた。そこで原告は被告会社に対し、同年二月一七日付書面で、同月二〇日をもって復職するのでその旨の辞令を交付するよう求めたが、被告会社は、休職事由が消滅していないので復職命令は出さないと回答してきた。そして被告会社は、同年三月四日、原告の復職の意思表示を無視し、かつ、復職が可能か否かの審査をすることもなく、また、所轄労働基準監督署の警告を無視して、休職期間満了を理由とする解雇をした。

(二) 右解雇はつぎの理由により無効である。

(1) 被告会社の就業規則は、従業員に対してその成立のみならず存在さえ明らかにされていなかったから、労基法一〇六条一項により無効である。

(2) 原告は、遅くとも昭和六〇年一月には原職復帰が可能であったので、復職の申出をしていたが、被告会社は原告の復職の可能性、意思について審査することなく、一方的に休職期間満了を理由に解雇したもので、この解雇は、被告会社が原告からの責任追及を恐れて社外に追放するための口実にすぎないから、解雇権の濫用である。

(3) 被告会社が原告に課した自宅勤務は、超過勤務手当もつかない労基法違反の勤務形態であり、この期間中の災害については被告会社に責任があり、解雇は無効である。

(4) 原告の受けた災害は、私傷病ではなく、労基法一七条の適用のある業務に起因する負傷であるから、私傷病を前提とする被告会社の休職命令及びそれに伴う解雇は無効である。

7  解雇後の事情

被告会社は原告に対し、昭和六〇年三月七日、立入禁止仮処分命令の申請をし、これを有利にするために連日原告の自宅周辺に暴力団風の男を向けて張込み・徘徊・嫌がらせをさせ、昭和六一年一月一二日には原告宅電話回線にFM式盗聴器をしかけた。原告は、被告会社の執擁な追跡調査に腹をたて、被告会社に威嚇の電話をしたところ、そのわずか一週間後の昭和六二年五月二七日に脅迫罪で逮捕勾留され、起訴猶予で釈放された。

被告会社のした予備的解雇の意思表示は、被告会社のした嫌がらせや不法行為に対する原告の自己防衛の対応や言葉尻を解雇理由とするものであり、無効である。

8  よって、原告は被告に対し、原告が被告に対し雇用契約上の地位を有することの確認と、昭和六一年一月二一日から本判決確定に至るまで毎月二五日限り賃金の一部請求として一か月二一万三二〇〇円の割合による賃金の支払を求める。

四  被告の主張

1  原告の入社

原告の入社は、原告がフタバ模型R/C研究所を二年あまりで退職後浪人中、模型飛行機の趣味の集りで社長と知り合い、社長から遊んでいるなら被告会社で採用してやってもよいと持ちかけたところ原告がこれに応じたという経緯である。入社後原告は、主に製品の開発の業務に従事することとなった。

2  主任降格

(一) 被告会社のヒット商品に変身サイボーグがあるが、この基本的構想は社長が考案し、課長若瀬寛のアイデアをもとに各部門関係者の血の出るような思索と討論を経て、最終的に社長の総合プロデューサーとしての決断によって商品化に至ったものである。原告は、せいぜい上長の命によりアイデアスケッチもしくは手作り試作を担当したにすぎない。ところが原告は、変身サイボーグを販売した昭和四七年以降、あたかも自分がその開発者であるかのような言動をし、また、社長から特にスカウトされて入社したと広言し始めたり、社員のチームワークにとって大きな障害となってきた。

(二) 被告会社では、主任以上の社員全員の出席を義務付け、幹部社員の能力の開発・育成を図る管理者研修の目的をもって行動計画発表会を年二回開催し、当該年度の各部門の行動計画を発表していたが、原告は、昭和五四年九月一六日開催された、昭和五四年度下期の行動計画発表会に無断で欠席した。そこで翌日、総務部長藤田龍一が叱責したところ、原告は何を思ったのか、無断欠席を詫びると共に、主任職を返上する旨の始末書を同部長に提出した。これに対し被告会社は、同日、原告を主任職から一般職に降格することを決定し、その旨の人事社告を総務部脇の社内広告室掲示板に掲示した。

3  自宅勤務

ところが原告は、翌一八日、右人事社告をはぎ取り、血相を変えて藤田部長のところに怒鳴り込んできて、この社告を丸めて同部長に投げつけた。それ以来、原告の勤務態度は益々悪くなり、二、三時間程度の遅刻も月一、二回あるというようになった。この頃の原告は、服装、言葉遣い、就業態度等、すべてにおいて特異で目立つ存在で、担当者間ではひときわ浮いていて敬遠されていた。被告会社は、原告をこのままにしておくと職場の秩序が乱れ、社員の士気にも影響することから、それまでの原告の独善的で非協調的な性格をも考慮して、昭和五五年三月一日、原告を自宅勤務(ただし、金曜日は打ち合せのため出社する。)とすることにし、原告もこれに同意した。

4  交通事故

原告は、昭和五七年一二月八日、船橋市市場のスナック「樹里」に自分の車で赴き、閉店時まで飲酒した後、同日午前三時一五分頃、酒気帯び又は酒酔いのままでその店の近くに駐車してあった車で帰宅しようとしたところ、店の従業員宇井仁がバックで運転発進してきた車と自車との間に挟まれて重傷を負った。この事故は被告会社の業務とはまったく関係のないものであった。原告は直ちに千葉県救急センターに緊急入院し、さらに昭和五八年二月八日から船橋病院に転院して同年四月一九日まで入院し、それから昭和五九年一月一七日まで通院したものの「回復の見込なし」との診断を受けるに至った。その後同年八月一六、一七日に板倉病院に入院したことがある。傷病名は脳挫傷、左大腿骨開放性骨折、左膝拘縮、左こう丸摘出、頭部外傷、難聴、味覚・嗅覚異常、HBウイルス感染症等であった。

5  休職命令

被告会社の就業規則四〇条によれば、六か月以上欠勤が続いているとき(一号)、社内に適職が与えられないため一時待機させる必要があるとき(五号)は休職を発令することになっているところ、一号関係については、原告は昭和五七年一二月八日、会社業務とは関係のない交通事故に遭い、受傷後一年八か月になるのに仕事に取り組んだ形跡がなく、加えて機能回復の遅れが目立ち治療を要することが明らかであったこと、五号関係については、原告には未だ仕事に取り組もうとする意欲が全く認められず、また、歩行機能・聴力の障害により市場情報の収集や対人折衝が未だ不可能と認められるうえ、事故後原告の直情径行的性格が強まり、以前にも増して何事にもすぐ激昂する極めて不安定な精神状態にあり、就労に耐え得るものとは認められなかったため、被告会社は昭和五九年九月五日到達の書面で原告に対し休職を命じた。就業規則四四条には休職期間中は無給と規定されているが、被告会社は原告の激昂しやすい性格を考慮してその間給与を支給することとした。

6  原告のその後の言動

原告は、社長に対し、休職通知を受けた後の昭和五九年九月一〇日、休職発令が不当であることをなじり、「私に短気を起こさせるとどうなるかわかりませんよ。」などと脅し、同月二三日にも「自分の身体はもう半人前になってしまった。まともな仕事もできない。自分の件を解決したければ一億円を支払え。もし支払えなければ、自分はいろんな行動に出る。」などと脅迫的言辞を弄し、恐怖感を与えた。被告会社はこの時点で原告を解雇しても非難されるいわれはなかったが、原告の性格等を考えて、円満裡に解決すべく話し合いの機会を持ったが決裂した。それ以降、原告は被告会社に頻繁に電話をかけてくるほか時折被告会社を訪れ、脅迫的言動を繰り返した。

7  休職期間満了による退職

原告は、昭和六〇年二月一七日付の復職届を被告会社に提出してきたが、原告には依然として身体の機能の回復が認められず、勤労意欲は見受けられず、就労能力も低下しており、精神状態も前より不安定で就労に耐えられないと認められたので、被告会社は原告を復職させなかった。そして、昭和六〇年三月三日休職期間が満了したが、当時、原告に回復の兆候が認められたわけではなかったし、原告の直情的径行は一層激化し、つねに狂暴で不安定な精神状態にあり、一般社員にまで脅迫的言辞が及ぶ始末で、会社内に適職を手当できる状態にはなかった。そこで被告会社は、同月四日、原告について未だ休職事由が消滅していないと判断し、原告に対し、就業規則四六条三号に基づき退職通知をし、併せて退職金二六九万円を支払った。

8  予備的解雇

(一) 原告は、昭和六〇年三月五日午後一時頃、皮ジャンパー・皮スラックス・サングラスのいでたちで被告会社本店に赴き、社長との面談を求め、取引先の大勢いるロビーで大声を張り上げ、対応に出た専務取締役に対して「この問題は一人や二人死なないと解決しねえな。」などと声高に脅迫をし続けた。その後もしつこく続く原告の脅迫的言動に、被告会社は相当の危機感を覚え、その対策に苦慮し、社長を自宅から都内のホテルに避難させたばかりでなく、その家族も自宅から退避させたりしたほか、警備保障会社に社長らの警備と原告の動向調査を委託した。そして被告会社が同月七日、原告に対して立入禁止仮処分命令の申請をしたところ、原告は、被告会社に赴いて騒ぎを起こすことを殆どしなくなったものの、電話により脅迫することは一向にやめなかった。

(二) 原告は、昭和六一年二月二六日、被告会社を相手取り、地位保全の仮処分命令を申請した(東京地裁昭和六一年(ヨ)第二二二六号事件)。そこで被告会社は、原告の言動が粗暴を極めてきたため、会社と原告の間には信頼関係のかけらもなく、そこにあるのは社長以下の原告に対する恐怖感であり、原告の会社に対するいわれのない憎悪の念だけであったから、同年三月一一日の審尋期日において、退職通知後の事情も考慮し、念のため予備的に原告を解雇する意思表示をした。

したがって、その後三〇日間を経過した昭和六一年四月一一日には原被告間の雇用契約関係は消滅した。

第三争点に対する判断

一  本件退職通知に至るまでの経緯として、証拠(〈証拠・人証略〉)を総合すれば、つぎの事実を認めることができる。

1  原告は、昭和四三年五月模型飛行機の趣味の集りで社長と知り合ったのを機会に被告会社に入社し、昭和四六年二月有限会社タカラ企画に転籍し、昭和四九年六月第五開発チームの主任(指導職位)となった。同有限会社は昭和五三年三月被告会社に吸収され、原告は開発本部開発第五部門主任となった。

2  被告会社では、主任以上の社員全員の出席を義務付け、幹部社員としての能力の開発・育成を図る管理者研修の目的をもった行動計画発表会を年二回開催し、当該年度の各部門の行動計画を発表する重要な研修会議を実施していたが、原告は、昭和五四年九月一六日開催された昭和五四年度下期の行動計画発表会に無断で欠席した。このようなことは会社始って以来のことなので、翌日、藤田総務部長が原告を叱責したところ、原告は直ちに「私事開発職浅野芳春は今回の下半期計画発表会の大事な場を私事都合により無断欠席いたし、皆様に多大なご迷惑をおかけいたしましたことを深く陳謝いたします。二度とこの様なことのないようにすると共に現在の主任階級を返上致し、今回の処分とさせていただきたくよろしく御配慮を御願い申し上げます。」と記載した社長宛の始末書を同部長に提出した。しかし被告会社は、原告の当時の日常の勤務態度についても遅刻が多く必要な残業もしないなど主任にふさわしくない状況にあるものと判断し、同日、原告を主任職から一般職に降格することにし、その旨の人事社告を社内広報室掲示板に掲示した。

3  ところが原告は、翌一八日、右人事社告をはぎ取り、藤田部長の執務室に来て、「これはなんだ。」と怒鳴りながらこの社告を丸めて同部長に投げつけた。それ以来、原告の勤務態度は一層悪くなり、二、三時間程度の遅刻も目立つようになり、当時の同僚からも勤務態度につき「周囲とは無関係に自由気儘で好きなように振る舞っていた。」と評されるほどになった。被告会社は、原告をこのまま職場におくと職場の秩序が乱れ、業務に支障がでるものと判断して、昭和五五年三月一日、原告の勤務先を自宅とし、勤務時間については、午前九時から午後五時三〇分までの作業時間に相当する時間(日曜日、隔週土曜日は休日)、作業指示については、毎週金曜日に開発本部において自宅作業の指示・打ち合せ、前週の作業報告をすると共に次週作業の指示・打ち合せを行う、支給給与額は減額されることなく、賞与については、通常社員と同様に業績その他を考慮して評価決定する旨を決定し、原告もこれに同意した。この自宅勤務という就業形態は、就業規則に定められたものではなく、出退勤を管理する方法も決められていなかったが、原告に対する特別な措置として、業務上の必要性があったから、とりあえず六か月間実施し、原告と協議のうえこれを更新できるものとされた。

4  原告は、昭和五七年一二月八日、船橋市市場のスナック「樹里」に自分の車で赴き、閉店時まで飲酒した後、同日午前三時一五分頃、帰宅するため、その店の付近路上に駐車しておいた車に乗ろうとしたところ、顔見知りの同店員宇井仁が運転して付近駐車場から路上に後進させていた車に追突されたうえ自車に挟まれた。直ちに千葉県救急センターに緊急入院したが、脳挫傷、硬膜外血腫、左大腿骨開放性骨折等の重傷を負った。その後原告は、昭和五八年二月八日から船橋病院に転院して同年四月一九日まで入院し、それから昭和五九年一月一七日までリハビリのため通院したものの、左膝拘縮、左肩拘縮、聴力低下、味覚、嗅覚異常の後遺症(七級)を残し、「回復の見込なし」との診断を受けるに至った。さらに同年六月九日、二六日に日本医科歯科大学付属病院脳神経外科に通院し、同年八月一六、一七日には板倉病院に入院したこともあった。被告会社は、原告が入院期間中は自宅勤務もできなくなったために給与支払手続上も原告を欠勤扱いとしたが、健康保険から傷病手当金が支給されるまでということでその間は原告に対する賃金の仮払いを続け、退院後は従前の支払を継続した。

5  しかし被告会社は、昭和五九年九月四日、原告が、会社業務とは関係のない交通事故によって既に受傷後一年八か月以上経過し、退院後も長期に及ぶにもかかわらず、自宅作業の指示・打ち合せを求めることをせず、仕事らしい仕事に取り組んだ形跡もなく、加えて機能回復の遅れが目立ち特に歩行障害のために外出には付添を要し、さらに治療を必要することが明らかであったこと、また、それがため原告には未だ仕事に取り組もうとする意欲が認められず、開発業務に必要な市場情報の収集ができるほどに回復もしていなかったことから、就労に耐えうる状態にはないものと判断し、原告に対し、就業規則四〇条一号、五号に基づき、本件休職命令を通告した。休職期間は、同規則四一条により六か月とされた。なお、同規則四四条には休職期間中は無給と規定されているが、被告会社は原告の激昂しやすい不安定な精神状態を考慮してその間も給与を支給し続けることとした。

6  ところが原告は、本件休職命令の通知を受けた後の昭和五九年九月一〇日、社長に面談を求め、吉峰好信総務部長の同席のもとで、社長に対し、「私は今日は憲法一四条にのっとって社長と話がしたい。いま私は後遺症があるので仕事はある程度制約されるが、この会社では役に立たなくなったら捨てるのですか。」と切り出し、休職発令が不当であることをなじり、「私に短気を起こさせるとどうなるかわかりませんよ。」「私の気持ちを害してお互いに神経をすり減らすのは得策ではないでしょう。」などと強く不満を述べた。また、原告は、同月二三日にも被告会社を訪れ、社長、小島康弘専務取締役、吉峰総務部長と面談し、社長から、交通事故の保険金が増額されるように働きかけたい旨及びこれから原告に何か仕事を与えることができるかどうか考えたい旨を説明され、円満な話し合いを求められたところ、「私はもう半分人間ではなくなっているわけですよ。私はこれからは今までどおりに仕事ができないということが前提になっているわけですよ。」「一番簡単なのは金銭だと思いますよ。」等と会社との縁を切る意思を示したうえで、被告会社が原告の業績を低く評価してきたことや、上司と縁故関係にある従業員のみが不公平に優遇されてきたことを非難し、「分ったら少しはね、僕を恐ろしい人間と思って下さいよ。僕は今ね、はっきり思ってますよ、こんなタカラ潰すためなら命引き換えでもやりますよ。」「金銭面で解決するなら一億円出せるかというふうに聞いてるわけですよ。」と迫った。

7  さらに原告は、昭和六〇年一月二四日、被告会社を訪れ、小島専務、津久井課長に対し、「まず交通事故を片付けたい。損害賠償で保険会社の査定に異議申立てをしているが、個人では難しいので会社で弁護士を紹介して貰えないか。」と求めてきたため、被告会社は、原告の退職を前提としての支援として、弁護士を紹介するとともに、同月二九日、原告に対し、休職命令から六か月の経過により退職になる旨を書面で通知した。しかし原告は、津久井課長に対し、電話で、「一度にすべてを片付けようとするのは無茶だ。事務処理より先に会社と話をつけなければならなくなる。」と告げ、被告会社に対し「先般、休職を通知されましたが、体調も整いましたので休職前同様に自宅勤務という条件で、六〇年二月二〇日をもって復職したいので、その旨復職届を提出し通知いたします。すみやかに辞令の発令をお願いします。」と記載した同月一七日付の復職届を送付したうえで、「復職届が着きしだい辞令を出してもらいたい、出さなければ法廷闘争に持込む。」旨を告げてきた。津久井課長は、その間に頻繁にかかってくる原告からの電話による要求を社内報告用に同月二五日付書面に纏めて控えたが、その書面には、原告が復職を求めている理由として「今後私はタカラに長期に勤務する意思をもっているわけではない。この件についてはあくまでも事故の賠償請求を有利にしてもらうために必要なことなので、復職命令を期限付、三か月区切りで発令する(事故について損害賠償が解決するまで)ことを要求している。有利にするとは、事故の翌年から待遇を改善することになっていたという証明。(収入が少な過ぎたので、平均ベースまでは認められる。)」と記載されている。

8  被告会社は、本件休職命令の時点で原告を解雇しても非難されるいわれはないと考えていたものの、円満裡に解決すべく原告と話し合いの機会を持ち続けてきたが、退職についての金銭的な合意を見るに至らなかった。このような経緯をたどって、昭和六〇年三月四日休職期間が満了したが、当時、原告に身体の機能の回復の兆候が認められたわけではなかったし、常に不安定な精神状態にあり、会社内にもはや適職を手当できる状態にはなかった。そこで被告会社は、同日、原告には依然として身体の機能の回復が認められず、勤労意欲が見受けられず、就労能力も低下しており、精神状態も前より不安定で就労に耐えられないと認められたので、原告について未だ休職事由が消滅していないと判断し、原告を復職させないこととし、原告に対し、就業規則四六条三号に基づき退職通知をし、併せて退職金二六九万円余を支払った。

二  ところで、原告は休職期間の満了に至るまでの経緯につき、本人尋問において、原告の被告会社におけるこれまでの貢献、特に「変身サイボーグ」の開発という多大な貢献をしたにもかかわらず、下半期研修会を休んだというだけで降格処分をしたり、自宅勤務という給料が安く自己負担の多い苦しい仕事につかせたこと、休職命令は一旦撤回されたはずなのに後日その通知を生かして原告を退職させようとしていること、復職届を被告会社に提出した時点で、交通事故の後遺症のために仕事の内容によってはできないものがあるが、自分が今までやってきた仕事が障害のためにできないということはなく、しかも自宅勤務ということであれば問題はないこと等を被告会社に対する不服不満、非難を織り交ぜて供述するが、いずれもこれらを根拠づけるに足りる証拠はない。もっとも、原告に対する自宅勤務の措置が変則的な就業形態であるにもかかわらず、これが著しく長期にわたり、しかも、その間に業務外の交通事故による傷害を負って自宅勤務さえもできない状態に至っているにもかかわらず、従前通りの給与の支払を続け、さらに本件休職命令発令後も給与を満額支払ってきた等の被告会社の原告に対する処遇が、結局却って収拾の困難な事態を招いた遠因となったことを否定できないが、しかしこれが原告の主張を根拠づけることとなるものでもない。

三  前記争いのない事実及び認定事実に基づき、本件休職命令及び休職期間満了による退職通知の効力について判断する。

1  本件休職命令について

(一) 原告は、昭和五五年三月一日から自宅勤務とされていたところ、昭和五七年一二月八日業務外の交通事故により長期間入通院して加療を要する重傷を負い、そのため入通院期間中開発の業務に従事することができない状態になり、本件休職命令発令時の昭和五九年九月四日現在も、その後遺症のためなお業務に従事することができない状態にあって、結局右事故後一年八か月間以上も就労していたとはいえない状態が続き、また、原告が自宅勤務とされたのは、原告が被告会社に出勤して職場にいることが被告会社の業務に支障をきたすとして採られた措置であったから、本件休職命令発令当時、原告に対して他に就労可能な業務を与えることができない状態にあったものということができる。

(二) 右によれば、原告は、本件休職命令発令当時、就業規則四〇条一号所定の「私傷病による欠勤が引続き六か月に達したとき」に当たり、また、同条三号所定の「適職が与えられないため一時待機させる必要があるとき」に当たるものということができる。

もっとも、原告の自宅勤務という勤務形態は、被告会社の就業規則に定められていないが、支給給与額を減額されるものでもなく、原被告間の合意によって実施されたものであって違法とすべき理由はないものの、勤務の性質上出退勤の管理が困難なものであるうえ、同規則(〈証拠略〉)によれば(なお、被告会社が就業規則を従業員に周知させる措置をとっていたことは〈証拠略〉によって認められる。)、所定就業時間は七時間四五分、始業時刻九時〇〇分、終業時刻一七時三〇分と定められ(一三条)、一七条には「従業員が出張その他会社の用務を帯びて事業場外で勤務する場合、その就業時間を算定しがたいときは第一三条の所定就業時間を就業したものとみなす。」と定められているから、自宅勤務とされた従業員が同規則四〇条一号の「欠勤」状態にあるといえるためには、就業時間中に就労しなかったことが客観的に明らかであることを要するものと解すべきである。本件においては、原告は、交通事故による傷害の治療を受けた病院を退院した昭和五八年四月一九日以降、被告会社との間で自宅作業の指示・打ち合せを求めたこともなく、与えられた開発業務に取り組んだ形跡もないのであるから、原告が本件休職命令発令当時において就業規則四〇条一号にいう引続き欠勤していた状態にあったものとした被告会社の判断は正当として是認することができ、これを左右するに足りる事情は認められない。

(三) なお、就業規則(〈証拠略〉)によれば、被告会社においては従業員に休職を命ずるときは診断書又は証明書等その事実を証明できる書類を提出しなければならないと定められていることが認められる(四二条)ところ、被告会社が右証明書を提出したことを認めるに足りる証拠はないが、同条は休職事由の存在を客観的に認定するための手続きを定めたものにすぎないと解すべきであるから、右証明書が提出されていないことをもって、直ちに本件休職命令の効力が生じないということはできない。

2  休職期間満了による退職

(一) 原告は、休職期間満了の二週間前に被告会社に復職届を郵送したが、その間に休職発令時に比べて身体の機能の回復ないし回復の兆候が認められたわけではなく、休職期間満了時まで、依然として開発の業務に従事することができない状態が続き、また、原告が被告会社に対して自宅作業の指示・打ち合せを求めて自宅勤務の復活を希望するなどの復職を前提とする話し合いを一切求めておらず、専ら被告会社の原告に対する過去の処遇が悪かったこと、交通事故の事後処理を有利にするための被告会社の協力が足りないこと、原告の退職についての金銭的解決に被告会社の誠意がないこと等を攻撃していたにすぎないのであるから、原告には就業規則四六条三号所定の「休職期間が満了したときに休職事由が消滅しないとき」の事由があるものというべきである。

(二) ところで原告は、休職期間満了による本件退職通知は原告の復職の可能性、意思について審査することなく一方的にされた解雇であって、解雇権濫用であると主張するので判断する。

就業規則(〈証拠略〉)によれば、被告会社においては、休職者から休職期間中に休職の事由が消滅したとして復職の届出がされた場合には休職の事由が消滅したと認められたときに復職を命ずる旨(四三条一、二号)、情状により休職期間を延長し又は休職期間中に復職を命ずることがある旨(四一条)が定められており、また、休職中の者が、休職期間が満了し、また休職事由が消滅しても、所定の復職もしくは退職の手続きをとらないときは、会社は従業員を解雇することがある旨(四九条六号)が定められていることが認められる。これらの規定からすれば、被告会社の原告に対する本件休職命令に基づく休職期間満了による退職通知の性質は、休職期間の満了によって当然に原告が退職になったという事実の確認にすぎないものではないが、原告について休職事由が消滅したとは認めずに退職扱いにする旨の意思表示であるということができる。

本件退職通知をするに際して被告会社が専門医師による原告の診断を求めようとしたことは窺われないが、原告においても復職申出の趣旨に沿う休職事由の消滅の事実を明らかにしたことは窺われない。のみならず、本件退職通知は、前記認定のとおり一年八か月以上の長期間原告に就労の形跡・就労の意思が認められない状況のもとでされたことに鑑みると、被告会社において専門医師による原告の診断を求めなかったからといって、これが退職通知の効力に影響を及ぼすものではないというべきであり、本件退職通知が権利濫用に当たるということはできない。

(三) そうすると、原告は、本件退職通知当時、就業規則四六条三号所定の「休職期間が満了したときに休職事由が消滅しないとき」に当たるものということができる。

3  以上のとおりであるから、被告会社が原告に対し就業規則四〇条一号、五号に基づき本件休職命令を出し、その期間の最終日である昭和六〇年三月四日においても休職事由が消滅していないと認め、同規則四六条三号に基づきその翌日に退職したものとして取り扱ったことは正当であるということができ、これが効力がないことを前提とする原告の被告に対する雇用契約存在確認請求、賃金支払請求はそのほかの争点を判断するまでもなく理由がない。

四  よって、原告の請求をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 遠藤賢治)

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